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映画『マルコビッチの穴』を見て、キムタクのかっこよさがわかった。

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  • 2019年1月27日
  • 読了時間: 3分

人間は、ご飯を食べなきゃ死ぬ。

お金をもらうには、働かなくてはならない。

外に出る時は、靴を履く。


そして、キムタクは、かっこいい。

もうなんか常識となっている。

どんな世代の女性をも虜にしてしまうキムタク。

日本の女性が今までキムタクに使ってきたお金をかき集めれば、きっと国が建つ。首相はきっと木村拓哉、その人だ。


ただ、女性はキムタクの何が好きなのだろう。


たとえば、キムタクはドラマ『ロング・バケーション』でこんなことを言っている。


瀬名(山口智子)「どうしたの?何しに来たの?」 南(キムタク)「何しに来た?…キスしに来た」 瀬名「あ、あぁ」 南「瀬名とキスしに来た」 瀬名「うん…、じゃあ…」


多分ここで、日本中の独身女性の下腹部は火山のように噴火し、

カップラーメン片手に仰け反ったのだろう。


でもおかしいのが、キムタクは、このロマンチックな言葉を山口智子に言ったのであって、

脚の毛を剃りながら観ていたあなたではないのだ。


これは男性にも同様のことが言える。

『逃げ恥』で新垣結衣が自宅で帰りを待っているのは、星野源である。二郎を食って口臭が生ゴミみたいになっているあなたではないのだ。


それでも私たちはキャラクターに感情移入して、自分が言われたような気になってしまう。

不思議だ。


そんな「不思議」を具現化して映画にしたのが、『マルコビッチの穴』だ。

イケメンの画像から、次が大量の禿げたおっさん。

素晴らしい対比だ。


ストーリーは、汚らしいおっさんがある日、勤め先で穴を見つけ、

そこに入ることで一定時間、ジョン・マルコビッチと言う俳優になることができるというものだ。

他人の意識に入れると言うその格別の感覚を使ってビジネスを始めるおっさんだったが・・・と言う話だ。


映画のテーマはシンプルで、「他人の人生に依存すること」だ。

ファンタジックに描かれてはいるが、

実は映画やドラマを見るときに誰もがこうなっているのではないだろうか。

誰かの目を通して、その人が感じている感覚を感じているのだ。

そして他人の人生に、意識を完全に持って行ってしまうことで、自由で解き放たれた気分になるのではないだろうか。


ちなみに、ジョン・マルコビッチと言うのは普通に存在している有名な俳優だ。

別になりたくはないけど、なって見たら他人の人生は面白い。

しがないサラリーマンが映画俳優になれるのだ。


たとえば、ジョン・マルコビッチが山口智子だったらどうだろう。

みんなロンバケを観ながら山口智子に入り込んで、キムタクにキスをされていたのだ。

なんて野郎だ。

そりゃあ、かっこいいに決まっている。


ただ、映画『マルコビッチの穴』では、他人の人生に入り込む快感だけでなく、その副作用も描く。

快楽の先には、手元に何も残っていない絶望が残るのだ。


そう言う意味では日本のアイドル文化は、次から次へと新しいメンバーを追加し、

純粋無垢な男性を、半永久的に快楽に溺れさせて続けている。

絶望を見せる隙すら与えない。


キムタクはいつか死ぬ。

キムタクに依存しすぎると、その時あなたの手元に残るものは何であろうか?

早めに草なぎくんくらいに路線変更しておこう。


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