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制服ディズニーギャルをぶち殺す系映画

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  • 2018年9月3日
  • 読了時間: 6分

更新日:2018年9月5日


大学3年生のとき、彼女とディズニーシーへ行った。

当時付き合って2ヶ月くらいだった僕らは、ディズニーシーにいくと言うことで、それはもうテンションが上がっていた。

僕も柄にもなくミッキーの耳を付け、彼女と一緒にダッフィーの前で写真を撮ってもらった。

マーメイドラグーンではしゃぎ合い、アラビアンコーストで手を繋いだ。

「今度来た時は、ミラコスタ泊まりたい」なんて言われていた。


次の日、僕は電話でフラれた。

あっさりだった。そこには夢の欠片もなかった。

僕の手元には、こっそり取り寄せていたミラコスタのパンフレットが届いていた。


それ以来、僕はディズニーが苦手だ。

くそだと思う。

特にあのタグラインが苦手だ。「夢が叶う場所」とか、意味不明である。

僕にとっては夢が消滅する場所である。彼女との思い出はアクアトピアと一緒に沈んでいった。

というか例えば僕の夢が宇宙飛行士だったら、「夢が叶う場所」は火星とか木星であり、千葉の幕張ではない。全くふざけている。


ディズニーが嫌いな僕は必然的に、ディズニー群がる女性も苦手になった。


ちょうどその頃、インスタの流行に重なる形でディズニーに行く女子が増えてきた。

誰も見たくない制服姿をオンラインに披露し、背景が違うだけの同じ顔した写真を載せまくり、人のタイムフィードを汚しまくる。それはコスプレではない、仮装だ。仮装大賞だ。


ディズニーに群がる男性はもっと嫌いになった。

なんかもう意味が分からなかった。自分はまだ純粋無垢な少年とでも言うのだろうか。

ズボンに手を突っ込んで、反対の手で脇を触りながら、そこに何があるか確認して欲しい。

君はもう子供じゃないんだ。もう大人なんだ。

君はピーターパンじゃないんだ。


ピーナッツパンなんだ

そろそろ本題に入るが、少し前に『フロリダ・プロジェクト〜真夏の魔法〜』を観た。

作品の色味が体に悪いと有名なショーン・ベイカーによる最新作である。

フロリダのディズニーの裏に住むモーテルに住む母と娘の、なかなか深い物語と言うこということで鑑賞したが、これがなかなか面白かった。

ストーリーや色彩も良かったが、それ以上に、僕がこの映画に感動した点がある。


実はこの映画は、制服ディズニーやインスタ映えといったものを主食とする女子にとっては、ただ単に1,500円程度と2時間をぼったくられると言う、超難解な映画になっているのである。

「え!これディズニーじゃん!しかも女の子可愛いし、色も綺麗そうだし、観に行こう!」なんて気軽にTOHO CINEMASに行ったギャルの悲鳴が聞こえる。

そんなディズニーギャルにとっての『ムカデ人間』である、この映画の特徴を挙げていこう。


1. 淡々としている

この映画は貧困ど真ん中の親子に焦点を当て、その生活を如実に描いている。

ヤンママの日々の生活や、管理人とのやりとり、そして近所の子供たちと遊ぶムーニーちゃん6歳が、淡々と映されていく。

ディズニーランドの裏に住んでいるにも関わらずその面影はなく、ただただ子供が過疎化した町で遊ぶのを綺麗に撮っているカットが並ぶ。

最低に生活が厳しい状況なのに、カラフルな色を色彩豊かに映すだけで、貧困の親子がキラキラして見えると言う、切なさたっぷりの皮肉が効いているが、

おそらく開始30分の平坦な物語進行に、すでにディズニーギャルがインスタをチェックしたくて、たまらなくなっているだろう。


彼女たちが期待していたのはムーニーちゃん6歳がネクスト"ハンナ・モンタナ"になることなのかもしれないが、残念ながらムーニーちゃん6歳にアイドルとしての顔も、カントリーガールとしての顔もない。そう、ムーニーちゃん6歳はゴリゴリのゲットーに住んでいる、ギャングスタなのだ(違う)


2. カメラの違和感

あくびをしているディズニーギャルにトドメを刺すのが、この映画の独特なカメラワークだ。

この映画の主人公はヤンママであるヘイリーと、史上最強に可愛いムーニーちゃん6歳なのだが、

カメラの高さが、ヘイリーの高さとムーニーの高さの2パターンで交互に使用されるのである。

上にある画像を上下見比べて欲しい。

上側に貼った画像はヘイリーの視点の高さ、すなわち大人から見たこの世界の現状。

下の画像は、ムーニーに視点の高さ、すなわち子供から見たこの世界の現状になっている。

この視点が交互に出てくることによって、私たちはある状況下に置ける、2つの違う「ものの見方」を与えられる。

そして、2人にそれぞれカメラマンが付いた状態のドキュメンタリーを観ているような感覚に陥ることができる。

だからこそ、観客はこの映画がクライマックスを迎えるとき、大人(ヘイリー)の気持ちも、子供(ムーニー)の気持ちも分かった上で観ることになるため、かなり胸を締め付けられる。そしてそれを解放してくれるかのようなラストが待っているのだ。


・・・ということもおそらく制服ディズニーギャルは気づかない。

彼ら的はそんなことより早く「Under the sea」が流れ始めてこないか期待しているのだ。

残念だが、ムーニーちゃん6歳はセバスチャンではないし、君らはアリエルになれない。


子供の頃って

個人的には、ズーンと考えさせられる系の映画で非常に好きな感じだった。


この映画を観ている時に個人的に感じたのは、そういえば6歳って、これくらい賢かったかも、ということ。

ムーニーちゃんが金欠ヘイリーの顔を心配そうな顔で見つめるシーンや、ヘイリーの苦し紛れの笑顔の裏を読み取るシーンが何度か出てくるのだが、

子供が親の反応に気づき始めるのって、意外と早かったかもしれない。

とはいえ、子供なので自分の力では何もできず、気づいてないフリをしてしまう。

ムーニーもそうだった。大人の問題に気づいてしまっている自分を振り払うため、子供でいることに没頭していた。

しかし、ヘイリーの生活がやがて崩れ始める時、ムーニーの気持ちがあのラストシーンに繋がっていく。

大人の辛さも知りながら、子供の視点も移し、そして急展開すぎるラストカットを入れ込むことで、視聴者に全ての答えを委ねたこの映画は、乱暴にも良作だと思う。


ちなみに、色んな批評でも書かれているが、特にこの映画、子役たちの演技が半端ない。

もう演技の枠を余裕で通り越した笑顔や涙を存分に見せてくれるし、その年の放送映画批評家協会賞では、『ギフテッド!』や『ワンダー』など子役が目立った作品が多い中、ムーニー役を演じたブルックリン・プリンスちゃんが最優秀子役賞を受賞。無名にも関わらず圧倒的な演技力を持っていると思う。


「私は大人が泣く時分かるの。」

目の奥に涙をこらえたムーニーが放つその言葉は、おそらくこの映画が伝えたいことが凝縮されているのではないだろうか。

少々難しい映画ではあるが、子供のころ言えなかった気持ちを代弁してくれるような、非常に良質な映画だと思う。

ぜひたくさんの人がこの映画に出会って欲しい。

ただし、制服ディズニーギャルはやめとけ。



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